好き度:★★★★☆ブロガー試写会にて鑑賞。
若い頃は美男子で女性にモテモテだった俳優・モーリスももはや70歳代。
最近は死体や脇役ばかりで細々と食いつなぎ、
俳優仲間のイアンと“お迎え”を待つ日々を送っていた。
そんな彼の前に現れたイアンの姪の娘、ジェシー。
無愛想で品も常識もない彼女だったが、一緒に時間を過ごすうちに、
モーリスは彼女の若さの輝きに次第にときめきを覚えるようになる・・・・。
50歳も年の離れた小娘に恋をした老人のお話なのですが、
モーリスは若くてピチピチした張りのあるジェシーの体、その肌にとにかく触れたくてたまらない。
ミニスカートからすらりと伸びた足に目が釘付けになったり、
絵のヌードモデルになっている彼女を覗き見したくて脚立から転がり落ちたり、
エロ全開です(笑)
なけなしのギャラで、彼女にイヤリングを買ってやって
そのご褒美に「首の匂いを嗅ぐだけならいいわよ」という何様?発言に対しても
とっても嬉しそうなのである。
しかも、調子にのって胸に手をのばして、強烈な肘鉄をくらわされたり。
そんなけんもほろろな相手に対しても、モーリスは全然めげない。
彼の信条は「快楽の追求」で、それがすなわち「生きる」ことだから。
もちろん、彼は自分の老いは十分に自覚して、ひけめを感じてはいる。
もはや肉体的に男性として女性を喜ばすことはできない。
彼女におずおずと「老人の臭いがするかい?」なんて聞いたりするのがいじらしい。
とある時。
やっと、彼女は少し心を開いてくれて、初めて待ち合わせすることになったのだけれど
彼女はいとも簡単にすっぽかしてしまう。
埠頭で暗くなるまで彼女をずっとずっと待つ。
その姿は年をとっても一人の恋する男にすぎない。
彼女にとっては、どうってことのないとるに足らない約束。
でも、彼にとっては彼女との逢瀬は「生きる」ことそのものなのである。
この埋められない差が残酷で切ない。
その帰り道、モーリスは別れた奥さんの家に寄る。
かつて、別の女性との恋を選び妻子を捨てたが、
互いに年をとった今、ほどよい距離で信頼のおける相手なのだ。
老いて孤独な自分を思い知り、妻にもたれてさめざめ泣くモーリス。
元妻は、彼の嘆きが他の女性を思い、傷ついたことがきっかけだとおそらくわかっている。
わかっていながら黙って彼を抱きしめ、彼のキスを受け入れる。
その痛みを共有するかのように。
二人の顔に深く刻まれた皺のように、彼らの絆の深さを感じるこのシーンはとても素敵だった。
この作品は、
「気持ち悪いから触るな!エロじじい!」とジェシーに共感するか
「減るもんじゃなし。ちょっとぐらいいいじゃない。」とモーリスに共感するかで評価は分かれると思う。
私は、完全に後者で途中から泣けてしょうがなかった。
それだけ、年をとったということかしら(苦笑)
「散り際の美学」という言葉がある。
散る花のごとく、何にも執着せずに潔く自らの幕引きをするのがよしとされる。
なので
老いてもなお、生にしがみつく姿をみっともないと笑う人も多いかも。
いや、それ以上に笑われることを恐れる人が多いのかもしれない。
しかし、モーリスのいじらしいまでの生の執着を見ると
ああ。こういう老いかたもありだなと思う。自分が幸せならば。
男にとってエロは生きていくうえでのエネルギーなんでしょう(笑)
そして、同時に、男のまっすぐな愛情は女を変える力を持つのです。
田舎娘をも「ヴィーナス」に・・・・。
老いてなお求める性。
それを、うわっつらだけの綺麗なものでもなく、かつ、それほどえげつなくもならない
ギリギリのラインで演じきったピーター・オトゥールが素晴らしい。
老境にさしかかった男の悲哀、喜び、怒り、いやらしさ、せつなさが
どれも素晴らしい表現力で伝わってきました。
まさに奇跡のような演技です
ちなみに、若かりし頃のピーター・オトゥール